東京地方裁判所 昭和62年(ワ)9638号 判決 1988年5月12日
原告 五十嵐一成
被告 株式会社 東京放送
右代表者代表取締役 濱口浩三
右訴訟代理人弁護士 牛島信
同 平野高志
主文
一 原告の請求中マドンナコンサートの再演を求める訴えを却下する。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金八八八八円を支払え。
2 被告は、原告に対し、昭和六二年六月二〇日中止となったマドンナコンサートを再演せよ。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 本案前の答弁
(一) 原告の訴えを却下する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
2 本案に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和六二年六月二〇日東京後楽園球場において開催される予定であった被告主催のマドンナコンサート(以下「本件コンサート」という。)のチケット(代金六五〇〇円、S席、一階三塁側H列二一三番、以下「本件チケット」という。)を同年六月初め頃郵便で購入した。
2 ところが、本件コンサートは、当日開催中止となった。
3 原告は、右公演中止により精神的な苦痛を受けたが、これを慰謝するには、慰謝料として金八八八八円の支払が相当である。
よって、原告は、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき慰謝料として金八八八八円の支払と本件コンサートの開催を求める。
二 被告の本案前の主張
給付訴訟の請求の趣旨は、審判の対象たる給付の内容を特定的に表示しなければならず、就中、作為請求においては、将来、請求認容判決を代替執行又は間接強制の方法で執行し得る程度に、求められる作為を特定的に表示しなければならないところ、原告の請求の趣旨の内、マドンナコンサートの再演を求める部分の記載は特定性に欠けている上、その内容は代替執行又は間接強制のいずれの方法によっても執行できず、その欠缺は補正できない。
よって、本件訴えの内、本件コンサートの再演を求める部分は不適法であるから、これを却下すべきである。
三 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実中、昭和六二年六月二〇日東京後楽園球場において本件コンサートが開催される予定であったこと及び被告が本件コンサートの主催者の一人であったことはいずれも認めるが、その余は知らない。
2 同2の事実は認める。
3 同3の事実中、原告が本件コンサートの公演中止により精神的な苦痛を受けたことは知らない。その余は争う。
四 抗弁
1 本件コンサートの公演中止における被告の責に帰すべからざる事由の存在
(一) 被告は、本件コンサートを雨天においても決行できるようにするために、音響機器については防水シートを用意して浸水を防止し、舞台については、角度を自由に変えることのできる屋根で舞台全体を覆い、屋根の上に雨水が溜まって屋根が破損することを防止するなどして、舞台を雨から保護すべく準備をしていた。
(二) ところが、本件コンサートが予定されていた昭和六二年六月二〇日の東京地方は、午前中から雨が降り続き、午前六時から午後六時までの天気概況は大雨であり、また、午後に入って強風が吹き、午後三時四五分には瞬間最大風速毎秒一六メートル(風に向かっては歩けない程度)を記録する程の大荒れの天気で、午前一〇時二〇分には、気象庁から東京二三区内に風雨波浪注意報が出され、午後になって風雨が一段と強まる状況であった。
(三) 前記のとおり、本件コンサートの舞台には屋根が存在したが、強風によって屋根が揺れていただけでなく、その屋根を吊っている鉄柱までが風の力で揺れだし、また、本件コンサート会場である後楽園球場内は、その構造上風が球場外より強くかつ渦巻いて下から吹き上げる状況であったため、屋根を吊ったままに放置しておくと、屋根が下からの風を直接強く受けて、鉄柱ごと吹き飛んでしまうおそれすら予想された。更に、屋根の上には、本件コンサートのための照明装置が多数取り付けられていたが、それらの照明装置が強風によって揺れており、これが落下する可能性があった。そして、同日午後五時頃になって、舞台監督らが二度にわたって舞台に上がったところ、強風のため舞台上に雨が吹き込み、舞台がずぶ濡れの状態になってしまい、男でも吹き倒されかねないのみか、舞台上を動き回ることは、滑って転倒する危険があった。
(四) 更にまた、時間的制約もあった。すなわち、一般にコンサートを行うためには、その前にサウンドチェックと呼ばれる作業(できあがった舞台の上に、コンサートにおいて使用する音響機器及び楽器を置き、実際に演奏する者が本番同様に音を出してその具合を調整する作業)が必須であり、本件コンサートにおいては、このサウンドチェックとして同日午後三時から開場時刻である午後五時までの二時間を予定していたが、前記のような天候及び舞台の上の状態から、楽器等を舞台の上に上げることすらできず、開場時刻を過ぎた午後六時の段階においてもサウンドチェックを終了するどころか、これをいつ始められるかすら予想が立たない状況であった。ところが、本件コンサート会場である後楽園球場を使用するについては、騒音に対する付近住民からの苦情への配慮等から、いかなるコンサートであっても、午後九時以降には演奏音等を発してはならないという制約があり、所轄の警察署からもその旨の指導がなされていた。そこで、本件コンサート自体に要する時間(約一時間半)とサウンドチェックに要する時間(約二時間)から逆算すると、午後九時までに本件コンサートを終了させるためには、サウンドチェックを遅くとも午後五時半頃までには始めなければならなかったが、前記のとおり、午後六時の段階においてもまだサウンドチェックを始められない状況であったので、到底午後九時までに本件コンサートを終了させることはできなかった。
(五) なお、本件チケットには「雨天決行」との記載があるが、その趣旨は、本件公演の内容に応じて雨天の場合であってもできるだけ決行するが、諸般の事情からコンサートができないと主催者が判断した場合には、コンサートを中止するという趣旨であって、どのような気象条件の下でも、また、観客、出演者等の生命、身体にいかなる危険の発生が予想されようともコンサートを決行するという趣旨ではない。
(六) 以上のとおり、被告は、本件コンサートを公演するについて、善良な管理者の注意義務を尽くしていたにもかかわらず、これにより対処できる程度をはるかに上回る悪天候(大雨、強風)のため、万やむを得ず本件コンサートの開催を中止したものであって、不可抗力によるものというべきである。
2 損害賠償額の予定の存在
本件チケットの裏面には、公演中止等の場合でも旅費等の補償はしない旨の記載があり、これは公演中止の場合の補償の範囲については、チケット代金の払戻が限度であるという損害賠償額の予定に関する特約である。そして、原告は既に本件チケット代金の払戻を受けている。
五 抗弁に対する認否
1 抗弁1は争う。
2 同2の事実中、原告が本件チケット代金の払戻を受けたことは認めるが、その余は否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 被告の本案前の主張に対する判断
被告は、本件訴えの内、本件コンサートの再演を求める部分は給付内容の特定性に欠けている上、強制執行できないから不適法である旨主張するので判断するに、給付訴訟における請求の内容は請求の趣旨だけでなく請求の原因と相まって特定されればよいところ、本件コンサートの再演を求める部分は、昭和六二年六月二〇日東京後楽園球場において開催される予定であったが中止となった被告主催のマドンナコンサートを改めて開催することを求めるというものであって、その請求内容が特定性に欠けるとは必ずしもいえない。しかしながら、被告にマドンナコンサートを改めて開催する義務なるものが仮にあるとしても、その義務は被告の意思のみで履行できるものではなく、アメリカの歌手であるマドンナ側の意思にかかりマドンナ側との契約又はその協力なしには実現できない不代替的なものであるから、その債務の性質上、直接強制の余地はなく、債務者の費用をもって第三者になさしめる代替執行にも親しまず、また間接強制も許されないものと解するのが相当である。したがって、原告の右請求部分は、その当否の判断に立ち入るまでもなく給付請求として不適法であり、却下を免れない。
二 慰謝料請求に対する判断
1 請求原因1の事実中、昭和六二年六月二〇日東京後楽園球場において本件コンサートが開催される予定であったこと及び被告が本件コンサートの主催者の一人であったことは、いずれも当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告が同年六月初め頃本件チケットを郵便で購入したことが認められ、この認定に反する証拠はない。
2 請求原因2の事実は当事者間に争いがない。
3 そこで、まず、原告の債務不履行の主張に対する被告の抗弁1(被告の責に帰すべからざる事由の存在)について判断する。
(一) 《証拠省略》によれば、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
(1) 本件コンサートは、訴外株式会社電通、同株式会社アクス、同株式会社キョードー東京の三社がアメリカの人気歌手であるマドンナ側とツアー契約を締結し、それに被告が加わって本件コンサートを開催する運びとなったが、本件コンサートの実施面の統括は被告会社の担当者も加わった「マドンナコンサート事務局」(以下「主催者側」という。)が行い、訴外株式会社電通のスポーツ・文化事業局映像事業部長である勝田祥三がその実質的な最高責任者であった。
(2) マドンナ側との交渉過程において、本件コンサートをはじめとする東京におけるマドンナコンサートは、当初屋内で行うことになっていたが、マドンナのファンが多いため、これを屋外で行うことに変更し、その際、雨天の場合でも決行するが、出演者等に事故が発生しない程度の雨であるという条件をマドンナ側との契約条項に加えた。
(3) 主催者側としては、本件コンサートを雨天においても決行できるように、スピーカーや楽器等の音響機器については、ビニールの防水シートをかぶせて浸水を防止し、舞台については、角度を自由に変えることのできる屋根で舞台全体を覆い、屋根の上に雨水が溜まらないようにするなどして、舞台を雨から保護すべく準備をしていた。
(4) 他方、本件コンサートの会場に予定していた東京後楽園球場を使用するについては、音響公害の防止への配慮から公演を午後九時までに終わらせるようにとの警視庁富坂警察署の事前の指示があったので、主催者側では午後九時に本件コンサートを終了させるために、開場を午後五時に、開演を午後七時に予定した。
(5) 本件コンサート当日の昭和六二年六月二〇日の東京地方は、午前中から雨が降り続け、午前六時から午後六時までの天気概況は大雨であり、午前一〇時二〇分には、気象庁から東京二三区内に風雨波浪注意報(午後九時一〇分強風波浪注意報に切替)が発令され、午後三時四五分には瞬間最大風速毎秒一六メートル(風力七に相当し、樹木全体が揺れ、風に向かっての歩行が困難となる程度)を観測する程の悪天候であった。
(6) 後楽園球場には、一、二時間おきに天気予報がファックスで送られてきていたが、そのような状況の中でも、主催者側としては、予定どおり本件コンサートを開催すべく準備を進め、同日午後三時から開演に先駆けて本番と全く同じように演奏を行うサウンドチェックをする予定でいたものの、風雨が強く、舞台に吹き込む雨のために楽器を舞台に上げることすらできなかった。
(7) そこで、同日午後五時と五時半頃の二回にわたり、勝田は、舞台や音響等の各スタッフらとともに舞台に上がってみたが、強風のため舞台に雨が吹き込んで舞台がびしょ濡れになっており、舞台上を歩ける状態ではなかった。
(8) そのような中、後楽園球場の警備に当たっていた警視庁富坂警察署の責任者から主催者側に対し、前記の音響公害防止のため、遅くとも午後九時半には本件コンサートを終了するように、また、雨で舞台やスタンドが滑り易くなっているので観客や出演者に危険のないよう配慮するようにとの注意を受けた。しかし、本件コンサート自体に要する時間(約一時間半)と開演前に欠かせない前記サウンドチェックに要する時間(約二時間)から逆算すると、午俊九時半までに本件コンサートを終了するためには、右サウンドチェックを遅くとも午後六時までには開始しなければならないところ、開場時刻(午後五時)を過ぎた午後六時の時点においても、風雨が強く、舞台には雨水が溜まり、風の音が止まず、屋根を吊っている鉄柱までがぎしぎしと音をたてており、開演できる状態ではなかったため、主催者側では、各スタッフ、前記(1)の関係各社のチーフ、出演者側の関係者、警視庁富坂警察署の責任者等と協議の上、最終的には勝田が同日午後六時頃本件コンサートの開催中止を決定した。
(9) 観客への告知については、同日午後六時二〇分頃、大雨と強風のため開催できない可能性のある旨の予告のアナウンスを行い、午後六時四〇分頃に、強風により舞台が倒れるなどの恐れがあるため本件コンサートの開催を中止する旨正式に中止のアナウンスを行った。
(10) 本件コンサートの主催者としては、右公演中止により多大な損害を被る結果となったが、勝田を含む主催者側としても当日のような風雨の中で公演を強行して万が一にも人身事故を惹起したのでは大変なことになると判断し、涙を飲んで中止したものである。
主催者側としては、このような公演中止の場合に備えて予備日を設けたかったが、マドンナ側の日程の都合及び会場である後楽園球場の都合もあって、予備日を設けることもできなかった。
(二) 右の各事実を総合すれば、本件コンサート当日の気象状況や時間的制約、人身事故防止の配慮等から、主催者側が本件コンサートの公演中止を決定したことは、誠にやむを得ない措置であったといわざるを得ず、本件債務が履行不能となったことについては、被告の責めに帰すべからざる事由があったと認めるのが相当である。
これに対し、原告は、《証拠省略》(陳述書)の中で、本件コンサート当日の午後七時頃には雨も少なく、風も平穏になりつつあり、午後八時半頃には殆どおさまっていたから、サウンドチェック及び本件コンサートを各一時間に短縮して行えば、風と雨が平穏になりつつあった午後七時頃からサウンドチェックを始めれば午後九時頃には本件コンサートを終了することができたなどと供述しているところ、なるほど、《証拠省略》によれば、当日の天気概況は、午後六時までは大雨であったがそれ以後曇時々雨となり、雨量も午前一一時の観測時点をピークにその後徐々に減少し、午後六時頃には二ミリメートル程度になり、午後九時頃には殆ど雨がやんだことが認められる。
しかしながら、たとえ数時間後のこととはいえ、天候のような自然現象を的確に予測することは一般に困難である上、右事実は、事後的な観測の結果明らかとなったものであること、また、《証拠省略》によれば、午後六時の観測時点において、雨は一応おさまりかけていたと認められるものの、風は衰えず、午後八時半頃まで当日の最大瞬間風速(毎秒一六メートル)に近い毎秒一五メートルという瞬間風速を観測していること、更に、気象庁は同日午前一〇時二〇分に東京二三区内に発令した風雨波浪注意報を午後九時一〇分には強風波浪注意報に切り替えており、しかも、右強風波浪注意報は、翌二一日午前五時二〇分にようやく解除されたことが認められ、これらの事実によれば、本件コンサートの公演中止を決定した午後六時頃以降早くとも午後八時半頃まで、強風によって舞台等が破損するなどの危険が全く予想されなくなったものとはいえず、時間を短縮すれば本件コンサートを午後九時頃までに公演できたとする原告の前記供述は採用できない。
なお、《証拠省略》によれば、本件チケットには「雨天決行」との記載があるが、その趣旨は、被告主張のとおり、本件公演の内容に応じ、雨天であっても決行が可能である範囲で決行するという趣旨であって、どのような気象条件の下でも、また、観客、出演者等の生命、身体にいかなる危険が生じようともコンサートを決行するという趣旨でないことは、条理上当然であるから、前記のとおり、主催者側が、人身事故に対する配慮等のため本件コンサートの公演中止を決定したことは、「雨天決行」という記載の趣旨に反するものとはいえず、この記載の存在は、前記認定を左右するものではない。
4 よって、抗弁1は理由があるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の債務不履行に基づく慰謝料請求は理由がない。
三 以上のとおり、本訴請求中、マドンナコンサートの再演を求める訴えは不適法として却下し、慰謝料請求については理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 荒井史男 裁判官 安間雅夫 小川浩)